自分の好きなものを恥じないということ

10月2日(金)

夕ご飯

〇オクラ・エリンギの肉巻き

〇あらめ

●かぼちゃのマッシュサラダ(酢玉ねぎ入り)

●グジェール(料理番組で作り方を紹介していたので。フランス料理の前菜で、もともとはシュー生地にチーズたっぷりだそうですが、ホットケーキミックス+お豆腐+チーズで。カレー味、ハーブソルト味も作ってくれて、おいしかった。

 

10月3日(土)

お昼は、自然のリクエストでシチュー。お母さんのシチューはいつもソーセージ。

冷凍庫の中を整理したら出てきた、ホワイトソースの残りを使って作ってくれました。

 

夕ご飯

●鍋(白菜、豚肉、にんじん、しめじ、生姜、ねぎ、鶏団子)

●とりじん(長野の味付きの鶏肉)キャベツ、玉ねぎと。

○あらめ

〇大根の酢漬け

 

10月4日(日)

ローストビーフ(いただきもの)キャベツ

芋蔓の佃煮(いただきもの)

玉ねぎのスライス(胡麻ドレッシング、かつお節)

●茶碗蒸し(かに蒲鉾、鶏むね肉(片栗粉をまぶして。とても柔らかくておいしかった!)、ほうれん草)

なめこと玉ねぎの味噌汁

ごはん

 

 

以下は、「好きなもの」について思うこと。

 

好きなアーティストグループがいます。好きになったきっかけは些細なことで、メンバーの一人が作る俳句にとても惹かれたから。言葉の選び方に強く惹かれるものがあり、うっかり名前を検索してしまったら、そこから転がるように、どんどん気になるようになってしまいました。

 

もともとの私は、そもそも芸能人に詳しくもなく(というか、控えめに言ってかなり疎い方)、TVを見る習慣もなく、誰かのファンになったこともなく。芸能人のファン活動に使うお金があったら、自分や家族、身近な人のために使いたいとずっと思っていました。ところが今や、グループのCDやライブDVD、掲載誌、TVやラジオなど、できれば全部視聴してみたいと思うほど、好きになってしまいました。

 

今は、節約のために夫の実家に一緒に暮らすことをお願いしている状況です。それなのに、たとえばファンクラブの料金や、CDを何形態も買うのを、必要経費だと割り切ることは私にはできません。住まいが同じだとやはり気を遣うので、番組を録画しても、気兼ねなく見るというわけにはいかないし、録画したところで結局みられなかったり、せっかく見ていても必死に感情を殺すこともありました(自分、バカだなと思いつつ……)。正直、とても疲れる。子供二人を寝かせた夜中、月額数百円で見られる、配信番組を楽しむくらいが精いっぱい。それも、毎回ちゃんとは観れない。観るだけなのに、とてもエネルギーが要ります(私は実は発達的にかなり偏りを持っていて、視覚処理が苦手のようで)。それでも、好きという熱量が生み出すものは凄まじく、毎日本当に元気も勇気ももらっているなと思える日もあり、一方で、こんなに好きにならなかったら、胸が締め付けられるような感情もなく、もっと平穏だったのかなぁと、中学生か!みたいなことを思う日もあります。

 

どうなんだろう?芸能人を好きになる、応援する、って、普通はどんな感じなんだろうか。普通なんてなくて、人それぞれなのでしょうね。からりと明るく、ただ応援している!好き!って思えたらいいのになあ、と個人的には思う。リア恋とかいう言葉も聞くけれど、私は基本的にリアリストなので、ファンならちゃんとファンらしく、立場をわきまえ、応援するには何が必要なのかを考えていたいと思う。(もちろん、お金を出して販促物を買うことだけが応援の形じゃないとは思いますが)

 

応援している!と普通に思えるのは、千原兄弟さん、石田ゆり子さん、又吉直樹さん、くらいです。アーティストだと、エレファントカシマシ宮本浩次さんも好き。ただ、どの人も、よく知っているのかというとあまり知らない。だから、芸能人なら誰が好き?誰のファン?と聞かれると、つい黙ってしまいます。これが好きと言っていいのだろうか?と迷うので。知らないけれど、ただ、たたずまいが好きというか。ただそれだけで、好きとか言えるのかな?と。でも、好きは好きなんですよね。迷う必要なんかない。

それぞれ、チハラトークがめちゃくちゃ好きだったとか、せいじさんの傍若無人(失礼)な物言いに、勇気づけられたことが何度もあるとか、インスタグラムがいつも可愛らしいとか、偶々見た作品の演技が好きで何度も見返したとか、動物と暮らすあり方・考え方が凄く好きだったとか、本を何冊か読んだら文体がとんでもなく好きだったとか、そんな感じです。その人について多少調べたりはするけれど、きちんと追っかけをするのが苦手みたいで……見逃しが当たり前、見逃してもあまり落ち込むことすらなく、基本ぼんやり……自分中心でしか動けないタイプのようです。

 

話が戻り、今、これを書いている時間、好きなアーティストがツアーのライブ配信をしています。状況が許せば、自分も視聴できるかもしれないとも思いました。でも、やっぱりできなかった。子ども二人の面倒を両親にお願いし、諸々の配信を見れる環境を整えてもらい(そのセットアップも多分自分だけじゃできないので)、自分だけ動画をみるということが、現実的だと思えなかった。でも、自分でも意外なくらい、今すごく悔しいです。今年のツアーは今年しかないのだから。いつかまた観れるから、と自分をなだめて納得させようとする気持ちと、今年の秋は今年しかないのに、って思う気持ちと混ざり合って苦しい。明日になれば気持ちが切り替わるかなあ。どうして、こんなに好きになってしまったのだろう、と古い恋の歌のようなことを考える。かき乱されるのは苦手なのになあ。

 

こういう時、自分は本当に自分勝手だなって思う。両親と同居して、日々助けてもらっているのに、こういう時だけ、ああ、自由に使える時間が欲しい、誰にも気兼ねなく好きなものを楽しめる環境があれば、って思ってしまう。

でも、どんな環境であれど、自分が本当は、彼らを好きでいることを恥じているんじゃないかとも思うのです。本当に好きならなりふり構わず、配信ライブを見たいから、時間をくださいって頭を下げればいいのに(夫はそういうタイプ。自分に必要と思ったら人目なんか一切気にしない。私のことも、同じように尊重してくれる。そういうところが好き)、何で、格好つけてしまうのでしょうね。

 

好き、と媚びも衒いも、恥じることもなく、ちゃんと言える自分でありたい。好きなものを恥じない自分でありたい。声高に言う必要はなくて、ただ、堂々と好きなものは好き、と思っていたい。メンバーの一人で、生き方がとてもかっこいいと思える人がいます。自分の趣味をいつも堂々と話していて、人がそれをどう思おうと、まっすぐなのが素敵だと思う。自分もそうありたいな。。。

まとまりのない文章だけれど、荒ぶる気持ちをおさめきれずに、泣きたいような変な気持ちが続いているので(頭が混乱。。。発達偏りにはよくあることで、ちょっとしたパニックのような)、吐き出してしまいました。

 

もし、ここまで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。